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学門紹介

人類学門

オーガナイザー・担当者:鄭雅如

本所創立当初には、人類学グループと⺠物学グループが設置されました。その後まもなく、広州・雲南での形質人類学調査が始まりましたが、二年目には考古学グループに合併されました。1933年に、当院の社会科学研究所が本所と合併したものの、一年後に社会科学研究所が北平社会調査所との協力関係に転じたため、本所から分離しました。しかし、社会科学研究所に従来所属していた⺠族学グループは本所に残され、この部門が人類学グループと改名され、呉定良氏が主任となりました。その後、同氏は形質人類学研究所の設置準備へと転任したため、1946年に同主任は凌純聲氏に替わりました。1955年、当院に⺠族学研究所が設立され、凌氏が同所所⻑として就任しましたが、本所の人類学グループもそのまま存続しました。

従来、社会科学研究所⺠族学グループの主要な研究対象は、中国東北及び ⻄南地域の少数⺠族とその原始文化でした。人類学グループの成立にともな い、文化人類学と形質人類学の双方が重視されていましたが、中国東北部が日本に占領されたため、⻄南⺠族調査に集中するようになります。当院で⺠族学研究所が設立して以降、当学門の研究は形質人類学を維持しつつも、その後、文化人類学に関しては⺠族史が主流となりました。

1980年以降、当学門の研究方法と研究範囲には、新たな進展がありました。歴史資料や、フィールドワークで収集した同時代の⺠間資料を利用し、社会史、⺠族史、宗教史、医療史、生活や礼俗史など、社会と文化に帰属する研究に重点が置かれるようになります。そして、その後の研究の主要テーマは、医療文化、生活・祭儀・習俗、宗教・信仰、エスニック・グループの 歴史、異文化比較などが主軸となりました。伝統的な文献や考古学の発掘資料の他に、フィールドワークで記録された文字・画像・映像を大量に使用し、歴史学と人類学の研究手法を結合させ、他の社会科学の理論も補いながら、過去の歴史学界において、あまり注目されてこなかった課題の研究を進めて います。

20世紀末から、当学門はその研究対象として、歴史上で「見落とされてきた中間層」に注目してきました。この「中間層」の歴史は、官と⺠という二分 法を打破し、違う階層の人々が共同して実践してきた基本的な事柄を検討するものです。さらに、正統が如何に成立したか、例えば、古典医学や婦人科医学の確立といった問題に着目しました。その他にも、所属研究員は、「中 心」と「辺境」関する著作を多く発表しており、「漢と辺境文化」の研究、 あるいは「帝国の中心と植⺠地」の研究においても、優れた業績を挙げてい ます。

当学門内には、「生命・医療史研究室」、「礼俗・宗教研究室」、「世界史研究室」などの研究グループが設置され、相互作用や相互協力の仕組みを通じて、研究者の間で課題を探求する、いわゆる内部コミュニケーションの効果が顕著に現れています。個別の歴史問題を研究しながらも、時には関係領域の進展について、回顧と反省がなされてきました。過去十数年の間に推進されてきた、医療史研究、宗教研究、⺠族史研究などは、台湾の歴史学界を牽引するだけではなく、国際的な漢学界においてもトップに位置付けられるものです。その中でも、医療文化研究の成果は、「生命・医療史シリーズ叢書」に編纂され、出版されました。

この20年間に、当学門は新入研究員の研究動向に応じて、古代文明、ジェンダー史、ヨーロッパ医療史、日本医学史といった、研究領域を増やしてきました。具体的なテーマとしては、東アジア上古史、イギリス熱帯医療史、中国宣教医療史、近代中国博物館史・自然史、東アジア精神科学史、日本近代心理治療史、医学と物質文化などが挙げられます。なお、学門内の研究員が 注目している他の課題として、女性史、社会文化史、ジェンダーと法律、医療と知識、王権と祭祀、墓葬の図像などがあります。

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